建築家の意伝子とは、DNAの遺伝子が親から子へと受け継がれるものに対し、ミームとも呼ばれるもので、人々の間で心から心へと伝搬される情報のことをさしている。これは社会、文化を形成する様々な情報として分析されている。

南川祐輝氏、佐々木勝敏氏お二人を建築家たらしめているその思考、文化、背景などを伝搬して頂き、これらが聴衆の心から心へと伝搬されることを期待して「建築家の意伝子」が3月26日に開催された。JIA東海支部事務所でもある会場は椅子が足りなく立ち見も出る状況で、学生、若手から建築界をけん引する実力者の方にまでご参加頂き、白熱した熱気と緊張感のなかでスタートした。

南川祐輝氏のプレゼンから始まった。福井県の大野市の風景はご自身の原風景であるという。大学の師である牛山先生からすすめられて桜画廊に通うようになる。美術に触れるようになるが最初はわからず美術書をよみあさったという。関根伸夫 「位相 一 大地」 (1968年)や榎倉康二 「壁」(1971年)の写真が映し出された。美術「もの派」に傾倒していく。「もの」と空間との相互依存関係にひかれたのであろう。南川氏は建築においての素材やオブジェクトそのものにはあまり興味がないという。

卒業設計は自分の内臓をえぐり出すような作業だったという。作品は、壁と空間との依存関係が描かれていた。「自分が自分であるために自分と向き合う」という設計姿勢はストイックであり真剣である。その後社会に出るが就職はしなかったという。以前、新田鷹雄さんの事務所におじゃました時に南川氏が作った模型を拝見した。新田鷹雄さんの事務所にみえたのは間違いないようだが就職ではなかったという。

1995年の国際コンペ「水俣メモリアル」優秀作品が映し出された。「見えないものを可視化する」というコンセプトである。審査講評に「オブジェクトとしてではなく…」とある。

その後実作の写真が映し出されていく。ノブギャラリーで知り合った美術作家のギャラリーが処女作になる。国島征二氏の作品が常設されている「あうら」。美術作品であるアートプラン佐久島の「おひるねハウス」は「水と土と芸術祭」にも招かれている。建築の枠に納まらない活動は、「もの」に留まらずにそこから発せられる効果を求める南川氏の視座に導かれているようだ。

佐々木勝敏氏のプレゼンは欧州旅行の写真から始まる。大学を出て3カ月間欧州旅行に出かけた。それまでは建築がバーチャルな存在であったが建築を体感することができた。しかし、コルビジェやミースがわからなかったという。建築のテーマパーク化とデコン建築化など問題意識をもって帰国する。

厳しい設計事務所の労働環境に敢えて身を置こうと思った。1日300円の食費で身体と頭を鍛えるから心も鍛えられたという。現場では大工さんに脅されたこともあったというが、つくる人が居ないと建築はできないのだから現場で和気あいあいと関東で10年過ごしたという。

「人工環境と自然の関係を受け止める必要がある」という。さらに「建築を深く考えたい 人のこと 生きること 住むこと」をという。その一環として「水曜膳」という食を通じて学ぶ取組みをしている。食べること、食材を見つめ直すことで、ものごとや社会が表面的に動いている中で生きることをリアルに体感させようとしている。「木曜清掃」は自然と向き合う時間だという。ごみ拾いしながら外部空間について考え、環境を考え、ごみをヒントに社会を考える。社会の縮図が身の回りにあり、問題意識を持たなければならないという。

一つの計画に500案。やれることはとことんやる。学生時代設計課題は最初はCだったという。デザインは下手でもエネルギーはかけれる。目で見ながら五感全部を働かす。大事な部分はモックアップをつくるという。まるで修行僧のような佐々木氏の活動はレジリエンス(逆境に強い心)に支えられているようだ。

建築を学ぶ若者だけではなく、同じく建築を求める者として共鳴するところも多くまた学ぶことの多いトークセッションとなった。南川氏の視座と佐々木氏のレジリエンスはインパクトをもってわたしたちの心に響いた。